遥か彼方、星の至る処

 

小学校が一緒だった人に、一緒に今度ご飯いこうって言われた。

地元の友達は疎遠になっていることが多いけど、地味に結構素直に嬉しかった。

 

 

私の学校は、小学校が2つで、中高が1つ。

ちなみに、その子はそんなに仲良く遊んだ記憶もないけど、たまーにどうしてるのかな、元気にしてるといいなと思える距離感なのがよい。

 

中学校と高校の時って、びっちり一緒にいると喧嘩しちゃったりするけど、一緒にいない分お互いに嫌なイメージがないこともあるのかもしれない。

(あっちはどう思っているかはわからないけど)

 

あと、小学校が違う同じ距離感の人は、そういう興味が湧かないのも不思議。

小1〜小6の思い出が以外と大切なのかも。

思い出してもろくな思い出ないけどね。。。

 

今度タイミングがあれば会いたいなぁと思った。

 

そういう点では、SNS でなんとなーくつながっていれるのってすごくいいなと思う。

 

そういえば、SNS で思い出したことがある。

私は、SNS やってないと生きていけなくて、別にTwitterだろうがインスタだろうが、なんでもよくて、でも、常にやってる。

ADHDがどうのとか、そういうパーソナリティをなんのために曝け出すのかなって思う人もいるだろうけど(そもそもこんなの誰もみてないと思うけど)人に見せる用でもないけど、鍵もかけないで見れるようにするっていうのも自分のモットーである。

人生の一部なんだと思う。

 

でも、私が一番あってるのは、個人ホムペ的なやつなんだよねきっと。今なくて残念。

 

 

一番最初にやったSNS?的なものは、ふみこみゅと、セーラームーンカテドラルっていうサイトの掲示板で、たぶん11-12歳くらいかな。

 

そうそう、なんかね、

セーラームーンの情報載ってたり、絵書いて投稿したり、雑談したりっていうサイトだった。

合作やろう!とかいって、マウスで絵描いて、知らん人と半々で書いて投稿とかしてたなあ。

相手にご迷惑極まりない。笑

 

そこで掲示板にいくたびにいるちょっと年上の子がいましてね、周りの人からすっごく好かれてたのね。

誰にでも優しくて、すっごく憧れだった。

その子と話したくて掲示板にいって、他の子がいても平等に話してくれるんだけど、他の子に嫉妬したりとかしてましたね。

 

そいで、ひょんなことで言ってたのが、自分は恋愛の対象が女性である。学校に行っていない、不登校だ、と。

 

そこで衝撃を受けまして。

恥ずかしながら、まわりに似たような人はいらっしゃったのかもしれないけど、わたしは初めて知った経験だったんだよね。学校も行きたくない場所と思ったことはまだなかった。唯一神みたいな憧れだった人が、物凄い複雑な状況を抱えていると。

 

それを知った時に、私のSNSの性癖は間違いなく狂ったね。

や、まちがいなく、あの瞬間がひとつのターニングポイントだったと思う(笑)

 

世の中にはいろんな人がいるんだと知ったし、世界が広がった。

 

学生時代辛かったけど、SNSがあったから生きてこれたと思う。

生活圏では同じ人はいないけど、広い世界を見れば同じ人はいるんだなと思った。

まあ、セラムンカテドラルにいた子ほど辛い思いは抱えてなかったと思うけどね。

 

すごく大切にしていた作成したHPが、管理者がアクセスしなかったことで消えてしまった時は本当に悲しかった。だから最近は紙媒体も大事にしようと思っている。

 

今だから言える話ってことで、私の個人ホムペ知ってる人います?笑

特定班怖いからなぁ。

 

あといりびたったのは、ふみコミュだったなぁ。。

何度か釣りスレにひっかかって徹夜したわぁ。

 

なんかなつかしい気持ちになって、まとめてみました。

 

 

 

ふるさとは遠きにありて思ふもの

 

雨上がり決死隊が、まだぎりぎりコンビを組んでいた時のこと。

 

宮迫が自身のYouTubeのチャンネルで、「テレビは地元みたいな感じ。戻りたい。」みたいなことを言っていたんだよね。

 

それを聞いた瞬間、あ、このコンビは終わったなと思った。

 

自分が相方だったらめちゃめちゃ傷つくなと思ったし、その言葉がでるような考えだったら、絶対にこの二人はうまくいかないと思った。

 

地元を離れて新天地で頑張っていて、その人はそこで生きている状態だ。

そもそも、地元で生活している人は、「地元」と言わない。

宮迫の発言が、ちょっと下に見ている節を感じるのである。

 

ふるさとは遠くにありて思ふもの、とはよく言ったものだと思う。

あれってたしか、都会からふるさとを懐かしむんじゃなくて、久しぶりに地元帰ったらなんか居心地悪いな〜、都会に帰りたいな〜ってうたった詩じゃなかったっけ(あんまり知らないので違ったらすみません)

 

別に私もその節はありますし、下に見るのが悪いとは言わないけど、まあ一緒にはやっていけないよなと思う。

ここの感情は、理解できる人とそうではない人がいるかもしれない。

どこに生まれ、どこで育つか、アイデンティティへの影響は大きい。

 

もしかして宮迫は、都心出身で、郷愁という感情を知らないのか?(なら理解できる)と思って調べてみたら、人口20万人くらいの。絶妙に地元感を植え付けられそうな地出身だった。

 

ちょっと話変わるけど、田舎に対しての劣等感は、地元が死ぬほど田舎のところよりも、都会からちょっとはずれた郊外の、わりとすぐ都会に行けるようなところに住んでいる人の方が強い傾向がある。これは私調べ。

 

私もそうだけど、ど田舎って、ど田舎ってわかってるから、別にそういうもんだとしか思わないんだけど、田舎をばかにしてくる人種がいる。

別に、ばかにされたとて、馬鹿にされたポイントはその通りだからなんとも思わないし、私自身も、田舎で生活をすることは嫌いだ。

しかしまあばかにされると、私は自分の田舎をいいと思っているとでも思っているのか?とイラっとする。

 

過去に私が経験をしたのは、名古屋にすぐ行ける岐阜出身の男と、函館周辺の七飯町出身の男。あ、どっちも医者だ。逆に、日高とか、稚内とか、十勝とか、北東北の人と話をしても、そういうニュアンスの言葉は出てこない。札幌近郊の人からもあんまり感じない。

 

お互い話してても、へえ〜、なるほど、そういうレベルねっていう感覚でしかないんだけど、コンプレックスがあると、言葉のはしばしに、そういう失礼なニュアンスをどうしても感じてしまう。

同じ言葉を発したとしても、そんな自覚は全くなくても、そういうものは敏感に感じ取ってしまう。これは常々思うことなんだけど、自己肯定感が低くていいことって何一つないなと思う。性格とかって、良い面、悪い面がそれぞれあると思うんだけど、自己肯定感が低いということに、いいことは何もない。高ければ高いに越したことはないと思う。やっぱり、言葉の端々に、蔑みのニュアンスが入ってきてしまうんだよな。これは私ももちろんそうなので、気を付けたい。

 

 

 

そうね一緒に遊びに行こう

 

研修でその子を見た時、私はこの子を好きになると思った。

きっとこの子も、私のことを好きになると思った。

 

私の研修をするときのポリシーとして、生徒さんを好きとか嫌いとかそういう土俵にのせないというものがある。

 

この人のこと、嫌いだな、苦手だなって思うと、体が反応しちゃうから、どれだけ気をつけていても言動のはしばしに出てきてしまうんだよね。

 

だから、どれだけ自分が苦手な相手だったとしても、研修が終わるまでは、好き、とか嫌い、とか考えないようにしている。

 

なので、今回私はその子に対して、あえて一線を引いていた。じゃないとすごい仲良くなると思ったし、仲良くなったら、見えなくなってしまうものがあるから。

 

 

 

もうひとつポリシーとして、研修が終わったら、生徒さんを公平に扱うことをやめると言うものがある。

 

贔屓をしよう、とはしないけど、贔屓をしないようにしようとは思わない。

 

ということで、そろそろ研修も終盤なので、面談して、あえて一線を引いていたんだよって言ったら、嬉しい〜私も好きです♡って言われて笑った。そのほかもろもろどういうところが信頼できて好きだという告白(?)を聞いて、それは意識的にしてることだったから、わりと嬉しかった。

 

やはり私の嗅覚は間違ってなかった。

 

 

私の仲良い子に、年下で天然な子が多い。

私の周りに多いなって思ってたけど、多いんじゃなくて私が好きだったんだなと気づいた。

 

そういう統計でいくと、もれなく男性が好きな男性から嫌われるっていう傾向にも最近気がついた。何故w

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

共感覚

 

やってしまった、

眠れない。

 

 

 

Twitter黒歴史って紹介されていたお話があった。

 

https://x.com/siroyagishugo/status/1708409869483786645?s=46&t=Uvn6ilY4TixK5P-kFzOilA

 

 

これね、中の主人公さん共感覚だったんじゃないかなあと思う。

数字の色が見えたんだろうね。黒歴史にしてるってことは、その感覚が時間と共に薄れていって今は感じられないんだと思う。

まあ「赤=イヤな感じがする!」って結びつけたのはちょっと黒歴史よりかもしれないけど笑

全てがミステリーなものにかぶれていたわけではないんじゃないかなぁと思った。

 

中の主人公さん、たぶんWikipediaとかみたら、ああって腑に落ちるんじゃないかなあと思う。

 

 

 

 

共感覚、私も持ってました。

初めて自覚をしたのが、19歳くらいかな。

きっとこの感覚はあまり理解されないだろうなと思ったので、自覚するまでは人に言うことはなかった。

 

大学の芸術系の授業をとったときに、この中に共感覚の人はいますか?って聞かれて、なんじゃそりゃって思ったんだけど、しばらく話聞いて、それや!!ってなったのが出会い。

 

そして色が消え失せたのは、24あたりからかな。本当にさまざまな要因があったように思う。

今感じられなくて、残念だ。

本当に、綺麗に見えていたところから、ノイズが入って、見えたり見えなかったりして、消えていった。

消え失せていったと言うよりかは、削られていったに近い。時間だけが要因とは思えなかった。

 

 

そもそも共感覚Wikipedia先生で

 

共感覚(きょうかんかく、シナスタジア: synesthesia, : synæsthesia)は、ある1つの刺激に対して、通常の感覚だけでなく 異なる種類の感覚も自動的に生じる知覚現象をいう。

例えば、共感覚を持つ人には文字に色を感じたり、音に色を感じたり、味や匂いに、色や形を感じたりする。複数の共感覚を持つ人もいれば、1種類しか持たない人もいる。共感覚には多様なタイプがあり、これまでに150種類以上の共感覚が確認されている。

 

 

 

 

結論色々あるっていうことだけど、文字とか数字を見たときに、色が見えたりするのが多いみたい。

 

共感覚を、共感覚と名づけた人は素晴らしいと思うし秀逸だと思う。

ほんとにそう!って言いたくなる。

名前つけた人、この感覚お持ちでしたかって聞きたい。

 

 

私の中で共感覚って、

普通は、見たものは視覚と感知して記憶する

嗅覚で感じたものを匂いとして知覚する

 

共感覚は、それらの複数のものが線引きされずにどこかでつながっているイメージ。

 

私はちょっと共感覚の中でも少数派なんじゃないかなあと思ってるんだけど、感覚(触覚?)と色が結びついてた。別々のところで感じられるものが、共同の感覚として認知できるみたいな感じ。

 

 

ひとり共感覚だという人に会ったことがある。

「私はトランペットのような音を聞くと十勝晴れの澄んだ青い空を思い出す、ななこちゃんはどんなふうに見えるの?」

 

って聞かれて、何も言えなくなってしまった。

そもそも感じ方が違うのと、性格的な問題で、なんかごめんなさいってなっちゃった。笑

私は色とか音とかでは見えなくて、特殊な状況じゃないと見えなくて…苦笑

そんな明るい色もエピソードもでてこないので、ギャップにびっくりしたことがある。

 

どんなふうに見えるかっていうと、もちろん目で見えるのとは違うんだけど、頭に浮かんでくるイメージ、でも視覚的に平面の一枚の布のようなものが目の前にある感覚。

 

例えば色をイメージしてみてくださいって言われて、イメージする、そんな感じかな。

でもそれが自分で考えなくても明確な色彩ででてくる。目に浮かんでくる、が近いかな。私はだいたい一色。でもたまに質感的なものも感じる時がある。それと一緒におもちゃの足の硬いところが出てきたりもするから、記憶的なところとも結びついているんだろうと思う。

 

そして見える色は本当に美しい。

この世で見たことないくらい美しいと感じる。

あ、ちなみに見える色は毎回違う。もちろん選べない。時々途中で切り替わる。

 

いつもその時は暗いから、華やかなイメージはない。

奥で感覚的につながっている感覚になる。だからこの言葉は私はすごくいい言葉だと思う。

 

 

あの景色をもう一度見たい。

 

 

全然内容とは関係ないけど、頭の中で音が騒がしすぎて寝れる気がしない

 

アースラっていいやつじゃん

 

 

ディスニー映画のアリエル、

すごく野心的だと思うし、その行動にはとても共感できる。

とても素敵だと思う。

 

残念ながら、リトルマーメイド自体あんまり興味がないのだけれども・・・。

 

ちょっと話逸れるけど、なぜなら、アリエルはちょっと不利だったかもだけど、ちゃんと同意して契約してるので、アースラは唯一ヴィランズの中で悪いことをしていないキャラだと思っている。。

 

なんだか、ジェンダーとか、人種について、ものすごく取り扱いが難しいと感じて腫物扱いする人や、過敏に反応する人がいて、ものすごく違和感を感じる。

当たり前のことをなにをそんなに言っているんだろう?って感じることが多い。

 

 

 

黒人の女優さんを起用して、

白人が良かった、イメージ通りの白人のアリエルが見たい!

と感じることは全く問題ないと思うんですよね。

 

超えては行けない壁は、嫌だと思うことではなく、加害行為があるかどうか、だと思う。

 

そんな映画だったら、私は見にいかない。見たくない。は、仕方がないっていうか、感情なのではどう思うか自由。でもそれに対して、女優さんをバッシングしたり、映画に対してクレームいれたりとかは、超えてはいけない。

そんな簡単な線引きだと思うんだけど、いろんな議論がされていて、なんなんだろうな???と思う。

 

 

不倫したタレントに対してもそうで、

嫌いだから出演していたらチャンネル変える、はご自由だと思うんだけど、出演している番組に対して「復帰が早すぎる」とかクレームつけるのは、まじでどの立場?とつっこみたくなる。

 

(ちなみに、私は、不倫していた声優の櫻井さんの好感度はうなぎ登りです。)

 

 

私のクラスじゃないんだけど、入社してきた子が自己紹介で、

身体的な性別は女性同士で、お付き合いしています。

って打ち明けられたことがある。

 

その行動と勇気には拍手だ。

でも本当なら、そんなこと言うまでもなく当たり前の社会であって欲しいと思う。

 

普通、男女のお付き合いしている状態で入社してきても、自己紹介では言わないと思う。でも彼女たちには、最初の段階で言わなければならないと感じさせるほどの経緯があったんではないかなと思う。

 

ただ、存在している。

私は、知らないことや、知らなければいけないことがたくさんある。

 

そう思うと、Z世代の子たちって、素敵だなって思うことが多い。

 

 

 

そういえば、櫻井さんが降板したモノノ怪、どうなったんかなぁ。

私的には薬売りは櫻井さん以外考えられないので、いつまでも待つから、ほとぼりが覚めた頃に再開してほしい。

 

降板発表しちゃったし、きっと頓挫してるんだろうけど、クラウドファンディングで資金あつめちゃったもんだから、どうしようって感じなんだろうなぁ。

櫻井孝宏の薬売りさん、見たら泣いちゃいそうだな。

 

 

 

 

ひきだし

 

空から、たくさんのものが落ちてきている。

 

時々、自分の引き出しがひらいたようになって、

落ちてくるものをたくさん受け取ることができて

すごく気持ち良くなる時がある。

 

 

その感覚を掴み取って、

昇華できるひとが芸術家なんだろうなと思う。

 

私は、昇華する器用さとエネルギーを自分の中に感じない。

残念です。

 

 

 

 

見果てぬ樹里

 

久しぶりに美容室を変えた。

 

担当してくれた方が、とおいさんという方で、とても素敵な名前だと思った。

 

 

美容室ガチャ、1回でSSR引き当てました。

 

これは常々思うことなんだが、

美容師さんって華やかなように見えて、やってることは職人気質な業界だよね。