ふるさとは遠きにありて思ふもの

 

雨上がり決死隊が、まだぎりぎりコンビを組んでいた時のこと。

 

宮迫が自身のYouTubeのチャンネルで、「テレビは地元みたいな感じ。戻りたい。」みたいなことを言っていたんだよね。

 

それを聞いた瞬間、あ、このコンビは終わったなと思った。

 

自分が相方だったらめちゃめちゃ傷つくなと思ったし、その言葉がでるような考えだったら、絶対にこの二人はうまくいかないと思った。

 

地元を離れて新天地で頑張っていて、その人はそこで生きている状態だ。

そもそも、地元で生活している人は、「地元」と言わない。

宮迫の発言が、ちょっと下に見ている節を感じるのである。

 

ふるさとは遠くにありて思ふもの、とはよく言ったものだと思う。

あれってたしか、都会からふるさとを懐かしむんじゃなくて、久しぶりに地元帰ったらなんか居心地悪いな〜、都会に帰りたいな〜ってうたった詩じゃなかったっけ(あんまり知らないので違ったらすみません)

 

別に私もその節はありますし、下に見るのが悪いとは言わないけど、まあ一緒にはやっていけないよなと思う。

ここの感情は、理解できる人とそうではない人がいるかもしれない。

どこに生まれ、どこで育つか、アイデンティティへの影響は大きい。

 

もしかして宮迫は、都心出身で、郷愁という感情を知らないのか?(なら理解できる)と思って調べてみたら、人口20万人くらいの。絶妙に地元感を植え付けられそうな地出身だった。

 

ちょっと話変わるけど、田舎に対しての劣等感は、地元が死ぬほど田舎のところよりも、都会からちょっとはずれた郊外の、わりとすぐ都会に行けるようなところに住んでいる人の方が強い傾向がある。これは私調べ。

 

私もそうだけど、ど田舎って、ど田舎ってわかってるから、別にそういうもんだとしか思わないんだけど、田舎をばかにしてくる人種がいる。

別に、ばかにされたとて、馬鹿にされたポイントはその通りだからなんとも思わないし、私自身も、田舎で生活をすることは嫌いだ。

しかしまあばかにされると、私は自分の田舎をいいと思っているとでも思っているのか?とイラっとする。

 

過去に私が経験をしたのは、名古屋にすぐ行ける岐阜出身の男と、函館周辺の七飯町出身の男。あ、どっちも医者だ。逆に、日高とか、稚内とか、十勝とか、北東北の人と話をしても、そういうニュアンスの言葉は出てこない。札幌近郊の人からもあんまり感じない。

 

お互い話してても、へえ〜、なるほど、そういうレベルねっていう感覚でしかないんだけど、コンプレックスがあると、言葉のはしばしに、そういう失礼なニュアンスをどうしても感じてしまう。

同じ言葉を発したとしても、そんな自覚は全くなくても、そういうものは敏感に感じ取ってしまう。これは常々思うことなんだけど、自己肯定感が低くていいことって何一つないなと思う。性格とかって、良い面、悪い面がそれぞれあると思うんだけど、自己肯定感が低いということに、いいことは何もない。高ければ高いに越したことはないと思う。やっぱり、言葉の端々に、蔑みのニュアンスが入ってきてしまうんだよな。これは私ももちろんそうなので、気を付けたい。