最近死期が近いのか、

ずいぶんと昔のことを思い出す。

 

 

何度か、人との別れで(死別ではなく)、身を引きちぎられるような思いをしたことがある。どれも学生時代に好きだった女性の先生や先輩で、共通しているのは一緒にいた期間がそんなに長くない人だった。

 

 

私高校1、2年性の時、友達居なくて、毎日図書室にいくような生徒だった。

吹奏楽部でも練習しない先輩に喧嘩売ってめっちゃ嫌われてて、結構居場所なくてぼっち生活してた。

 

その時に色々と話をしてくれた松村先生のことがすごくすごく好きだった。

 

松村先生は図書室司書の担当で、クラスは担当できないはずだから、私の同級生はへたしたら覚えていないんじゃないかな。

 

そして不思議と、この後書く話以外どんなことを話していたのかあんまり覚えていない。

 

たしか高校2年生の時の離任式の時に違う学校に移動になったはず。

その日は悲しくて悲しくて一日中泣いて泣いて、帰っても次の日もずっと泣いていた。

 

胸が痛いって形容してよく言うけど、本当にぎゅーんって痛くなって、両手先までビリビリするような痛みだった。

 

きっと先生も私のことを気にかけてくれていて、私に手紙を書いてくれた。

 

その手紙を見て、何ヶ月か先に手紙を読み返しては涙するっていう生活をしていた気がする。

大好きだった気がするんだけど、一緒にいた期間はすごく短かったのに、どうしてあんなに痛い思いをするほど悲しかったのかよくわからない。感受性が強かったのもあるのかもしれない。

 

 

最後に泣きながら図書室に挨拶をしにいって、部屋を出た後、少し遠くから先生がそこそこでかい声でこう言った。

 

「避妊しろよ!」

 

これが私にかけてくれた最後の言葉でした(笑)

 

こういう先生だったから大好きだったし、なんだか重く響いて強烈残っている(笑)

 

 

 

これはこの時に話をしたことではないんだけど、

避妊や妊娠、中絶の話をしたことはよく覚えている。

 

「中絶することは悪だとは思わない。理想だけではうまくいかないし、望まれない子供がいるのは事実。痛い思いをして学べばいい。ただし、中絶を繰り返すような人間は死ねばいいと思う。」

 

強く、こう言った。

 

すべてそのままの言葉ではないけど

「中絶を繰り返すような人間は死ねばいいと思う。」っていうセリフは一字一句このまま言った。原文ママってやつ。

 

言葉がそのまま私の中に根を張って香り続けているもののうちのひとつ。

そしてそのときから、私の人生のモットーにも置き換わった。

 

おかげで、友人だった人を切り捨てた経験もある。

 

言葉のちからって本当にすごい。

きっと、私はあの人と同じだ。

同じように感じている、感じるはずだ、ということがお互いに分かっていたんだと思う。

 

そして、おそらく、たぶん、きっと、私たちは、尖った恋愛をしてきた人種だ。

今何を考えて生きているんだろう。

当時の彼女と、今の私は同じくらいだろうか。

 

知ってる方、いませんかね?笑

会って話をしたいけど、そういえば・・・顔がほとんど思い出せない。