何も死因についての情報がでてこないのが、恐ろしい。
幸福の科学といえば、思い出すことがある。
高校生の時に仲良くしている子のお家に遊びに行った時のこと。
おうちのお手洗いを借りると、トイレにずらっと薄い冊子が置いてあった。
なんとなーく手に取ってみると
「ザ・リバティ」という雑誌で、かなりの冊数が並んでいたように思う。
そして目に焼き付いて、忘れられない秀逸なキャッチコピーなんだけど
「大川隆法 オバマと対談」
って書いてて、ええ、すごいなぁとおもってよーくみると
「大川隆法 オバマ(守護霊)と対談」
って書いてあるのね。
ぬわーなんだこれ!ってその時高校生ながらに「これが新興宗教か・・・。」と思った。
そしてそのページをみると、守護霊さんと政治についてそれっぽいことを対談していました。
そして私がそのあと思ったことが
その人の宗教をやめさせるために説得しよう!だったんだよね。
この発想は愚かだったと今なら思う。
そいですぐその話を持ち出したかは忘れたけど、
幸福の科学なの?って話をそれとなくしたら、そうだよ〜ってお財布からお守りをみせってもらい、ちょっとびびってしまった。
そこで説得を試みるんだけど
「キリスト教とかイスラム今日とかって、世界に信者がいて、そのために戦争とか起こってるじゃん。幸福の科学はそういうのないじゃん」
とか、幼稚にも程がある主張(笑)
まあもちろん響かなかったし、自分の価値観とはあまりに違うということに驚かされた。
今になって思うのは、信仰心っていうのはものの考え方とか価値観よりももっと深いところにあって、私が諭していいものではなかった。
トイレに置いてある時点で、まあ親が入信してるわけだしね。
そこに救いがなければただのペテンだし、そこに救いがあれば、信者が多かろうと少なかろうと、立派な宗教だ。
そんなストーリーから、政治の話と宗教の話はしないっていうことを学んだ。
さらにもうひとつ、人としてはいけない話がある。
昔宝塚が札幌にきて、宙組朝夏まなとさんがトップのベルばらをみて、こんなにかっこいい男性世の中にいない!って思った。
当時の職場に宝塚が好きっていう人がいて、誰が好きなの?って聞かれたから「朝夏まなとさん」って答えたら「ああ〜ま〜くんねぇ〜」と鼻で笑われたことがある。
ということで、
政治の話と宗教の話と宝塚の話は安易にしてはいけないというのが私の方針である。
以上。