湯たんぽが欲しいのは眠る時。

 

お薬をさぼっていて、久しぶりにお薬とほろよい飲んだらキマッた。

テンション高めできもちー感じの悦にはいりました。

健康な気はしないけど私は元気です。

 

 

先日久しぶりに実家に帰って、感じたことについて。

 

大好きな両親

私には真似できないだろうなっていうほど深い愛情をくれて、本当に感謝している。

その上で、感じたことを少し。

 

 

どうやら、母親は自分自身に対して社会的にとてもコンプレックスを抱いているようだ。社会的に自分は、ちゃんとしていない、地位が低い、と感じている節がある。

 

そして、わたしは彼女の一部であり、

自立した一人の人間とは捉えることができていない。

 

いつまでも中学生の子供のような接し方をする。

車の運転はしてはいけない、お酒を飲むことで眉をひそめる。

湯たんぽいる?って聞かれて、欲しいって言ったら、低温やけどをするのでやっぱり湯たんぽはだめ!と言われ、じゃあいらないって言ったら、朝方6時ころに部屋に来てぬるくなった湯たんぽをいれてくる。

(この距離感に対して、言葉にしづらい不快感を感じる)

 

 

私31ちゃいなんだけどなあ。

私は早いうちに家を出てよかったなぁと本当に思う。

まあいろいろ思うところはありましたが、短期間だから黙ってました。

 

 

そして、社会的に低い、人よりも劣っているという考えの中で、そんな私は彼女の一派であるという捉え方をされるので、私も社会的に全く認められていないだろうというニュアンスを言葉のはしばしに感じる。

 

できるわけがない。

人よりも優れているはずがない。

海外に渡航経験のある人、お医者さん、

社会的に優れていると感じている人と、肩を並べて話ができるはずがない。

 

そういう旨の発言をたくさん浴びて帰ってきました(笑)

いや、本当すごいなぁってレベル。

今は少しイラっとするにとどまり、発言を俯瞰していられるけど、卑下するような発言が本当に多いと思う。

そして本人はまったく悪意はないという(笑)

 

この環境では、自己肯定感はどんどん下がっていくんだろうなと感じた。

 

私の自己肯定感の低さはこういうところから来ていたんだと思う。

昔「彼氏彼女の事情」っていう漫画の中で、

片親で愛情に飢えていた子が

 

「家族の関係性の中で埋まらなかったものは、自分で埋めていかなければいけない。私たちは人よりもマイナスのスタートをしている。」

的なことを言っていたのが印象に残っている。

 

それでも、いろいろな人のサポートがあって、

私は努力をして勝ち取ってきたとも思う。

数年前よりは、すいぶんましになった。

 

もちろん私は家族関係はとても恵まれている。

愛情も感じられていた。

完璧な関係性なんてつくれるわけないもんね。

私も家族が増えたら、こうやってたくさん足りない不完全な形になってしまうのかもしれない。

そして子供にこうやってブログに文句を書かれるのかもしれない

 

 

 

あと、母親も間違いなくADHDだと思う。

何度も「私ってなんでこうなんだろう」って言ってた。

 

名前をつけられることで、救われる人もいれば、そうではない人もいる。