札響 定期演奏会 シュッツのフルートは達人芸

 

札響 定期演奏会

指揮:バーメルト

フルート:カール=ハインツ・シュッツ

 

行ってきました。

 

いやぁ、素晴らしかったです、本当に。

 

ちょっと一線を画していた。

 

ありがたいことにチケットを譲っていただき、

Kitara の大ホールの一番後ろの席だったんだけど、フルートの音が、パンパンキラキラ聞こえてきて驚き!

 

遠くまでしっかり音が聞こえるフルートの音って、そもそも音がおっきくて、その分息圧がすごかったりするんだけど、シュッツのフルートは決してがなることなく、ガリガリ吹くわけでもなく、密度の濃いウエッティな音でしっかり響いて聞こえてくる。

 

ムラマツの24金フルートが、あんなに艶やかに響くのか。

達人芸ですね、、、。

 

吉野直子さんのハープも素敵だったな〜

直子さん小柄だから、並んだらシュッツの体が大きくてそれもびっくり。

 

アンコールは、イベールの間奏曲

すごく素敵だった!

 

メインのザ・グレイトは長くて(50分ちょい)4楽章で集中力が切れてしまった。

でも3楽章すきだな〜。

 

次はチャイ6〜

楽しみ〜

 

 

 

 

 

薬を飲んでよかったこと

 

 

ADHD の薬の量を、当初もらった分の4分の1にしてるんだけど、やっぱりまだ副作用がある。時々しんどいんだけど、それ以上に体が軽くて動ける感覚があるから、飲み続けたいなっていう気持ち。

 

今まで、自分の中心に睡眠があって、朝起きる時とか、本当にストレスを感じてた。

なによりも寝ることが大事で、休みの日とかも15時間くらい寝ていないとだめだったんだよね。そしてできることっていうのがすごい少なかったりする。

 

ロングスリーパーだなぁとは思っていたんだけど、誰もが起きる時は同じように辛いんだろうと思っていた。

 

なんだけど、薬を飲み始めてから、睡眠が中心にいてない感じ。

なんていうのかなぁ。

今回治療を始めて、睡眠に振り回されていた状態から開放された感じっていうのがいちばん大きい。

 

朝起きる時に、眠いは眠いんだけど、今まで感じていたような、鈍器で殴られるようなストレス、昼間の内側が痺れるような眠気が、消えた。

誰にも分かってもらえるものではないから辛かったんだけど、やっぱり人よりも眠気強かったんだって自分を労ることができるようで嬉しかった。

 

朝から動けるし、1日にできることが増えた。

それだけでも、治療してみてよかったなって思うので、お医者さんには感謝です。

 

薬を飲んでいる他の人のコメント見てみると

「順序立てて物事を考えられるようになった」「視野が広くなった」「思考する時のモヤモヤが消えた」「ディスニーランドに行った時に、道が広く感じてどこにいけばいいのか理解できた」

などなど

 

今のところ、思考のクリアさはあんまり感じないかなぁ。

 

このあいだ旅行に行った時も

案の定手に持ったものは消える、準備はできない、時間ギリギリ行動

などなど、改善されないどころか、悪化してるくらいの説あった(笑)

このあたりは特性ではなく性格なのかもしれない(笑)

 

 

 

 

 

ちなみに、今回診断されたことは、会社の人には言わないつもりである。

 

今回わざわざ病院にいったのも、まわりになんとかしてほしいわけではなく、どっちかっていうと、自分が自認してどうしていくかっていうことが主軸だったので、

わざわざ言ったりはしないかなーと思っています。

 

仕事もプライベートも、

診断名なんて言わなくても、私の得意不得意を理解してくれている環境にいると思う。

 

朝9時に出勤したら

みんなに「なんか天気おかしいと思ったら、ななねーが朝から出勤したからか」って言われる😑

いい職場ですw

 

 

何人か、言いたいなと思う友人には、伝えました。

シンプルに、どう感じるのか、反応がみたくて(笑)

 

意外、とか、しっかりものだと思ってたからびっくり、とか、ああなるほど

とか、その人の理解レベルにもよるけど、いろいろあって面白い。

***

 

もともと寺山修司が好きで、

それ関連のアングラな劇団に出演させていただいたことがあります。

 

 

セリフもなく、舞台装置の一部みたいな感じでずっと舞台にい続けるっていうお気に入りの役だったんだけど、その打ち上げで、脚本家(?)の方に言っていただいた言葉が今でも残ってる。

 

 

「君はね、背中を斬られるような痛みを知っている。それもね、縦になんかじゃないよ、斜めに斬られるような、そんな痛みを知っている。だから、君はこの劇団に合うんだよ!俺と一緒に芝居をやろう。」

 

結構私も酔っ払ってて、当時適応障害だって言われていた時期で、その時に心に直にひびいちゃって、ボロボロ泣いた(まわりの人は「えっ?」ってなっていたと思う)

 

こういう芸術をやっている人って、舞台の台詞のようなことばを言うことができるんだな、ってどこか冷静に聞いていた。

本当に舞台のワンシーンみたいな台詞だと思った。

 

 

10代だったら、二つ返事でのめり込んでいたかもしれないなぁと思った。

とりあえずフルートやりたかったし、舞台の上でセリフを言うっていうっていうことがとんでもなく下手だっていうことがその時分かったので、また1から、いや0からの世界に飛び込もうと思えなかったけど、あの言葉を伝えていただいたことには感謝している。

 

変わった人だけど、いろんな人に慕われる方なんだなぁ。芸人さんってすごいなぁ。短期間だったけど、関わることができて嬉しかったと思う経験でした。

 

 

今度「毛皮のマリー」をされるということだったので、

観劇させていただきたいと思います。

 

 

 

ポリシー

 

 

年賀状は出さない主義ということをここに宣言させていただきたいと思います。

 

結婚式をしたあと、きていただいた方には写真付きの年賀状を出すというのが一般的な気がしますが、この人はだす〜とか、だしてないのにきた〜とか、付き合いでだす〜とか

 

なんか、

 

圧倒的にめんどうくさい

 

 

あ、でも送っていただけることは嬉しいです。

来たら嬉しいなぁって思いますもちろん。

 

ただ返信はしないので、一方通行でいいならいいんですけども、もったいないので送付しない方がいいかなと思います。

 

1回やっちゃうと、来年出さなくなった時に気まずいので、出さないことにしました。

 

 

年賀状って、大して連絡取らない人との生存確認というか、なんとなく元気でやってるんだな〜っていうことを知れるメリットがあると思うんだけど、だいたいSNSでことたりちゃってるんだよな。

 

 

3枚だけきました。

全員旦那さんの親戚。

そして1枚当選していた(笑)

 

 

そういえば、年賀状といえば思い出すのが

高校生のときに同じグループにいた女の子と、表面上は仲がいいんだけど、嫌われている気がして、自分は出したんだけど、年賀状が届かない気がして年末年始怖くて怖くてずっと考えて結局自分にだけこなくて、すごくショックだったことがあるんだけど、本当にくだらない。

付き合いを断ち切ればいいだけの話だったのにね。

 

その子に別に恨みはないけど、

その時の自分への慰めに、ここに書いておく。

 

 

 

 

2022年は、本当に悲しいことが、2度起きた。

 

時間が経てば、風化していくものだと思っていたけど、風化しない痛みもあるのだと知った。

数年経つと違うのかもしれないけど。

 

 

「どうして」

 

 

そんな質問なんて、

意味がないんだということを知った。

 

 

 

 

湯たんぽが欲しいのは眠る時。

 

お薬をさぼっていて、久しぶりにお薬とほろよい飲んだらキマッた。

テンション高めできもちー感じの悦にはいりました。

健康な気はしないけど私は元気です。

 

 

先日久しぶりに実家に帰って、感じたことについて。

 

大好きな両親

私には真似できないだろうなっていうほど深い愛情をくれて、本当に感謝している。

その上で、感じたことを少し。

 

 

どうやら、母親は自分自身に対して社会的にとてもコンプレックスを抱いているようだ。社会的に自分は、ちゃんとしていない、地位が低い、と感じている節がある。

 

そして、わたしは彼女の一部であり、

自立した一人の人間とは捉えることができていない。

 

いつまでも中学生の子供のような接し方をする。

車の運転はしてはいけない、お酒を飲むことで眉をひそめる。

湯たんぽいる?って聞かれて、欲しいって言ったら、低温やけどをするのでやっぱり湯たんぽはだめ!と言われ、じゃあいらないって言ったら、朝方6時ころに部屋に来てぬるくなった湯たんぽをいれてくる。

(この距離感に対して、言葉にしづらい不快感を感じる)

 

 

私31ちゃいなんだけどなあ。

私は早いうちに家を出てよかったなぁと本当に思う。

まあいろいろ思うところはありましたが、短期間だから黙ってました。

 

 

そして、社会的に低い、人よりも劣っているという考えの中で、そんな私は彼女の一派であるという捉え方をされるので、私も社会的に全く認められていないだろうというニュアンスを言葉のはしばしに感じる。

 

できるわけがない。

人よりも優れているはずがない。

海外に渡航経験のある人、お医者さん、

社会的に優れていると感じている人と、肩を並べて話ができるはずがない。

 

そういう旨の発言をたくさん浴びて帰ってきました(笑)

いや、本当すごいなぁってレベル。

今は少しイラっとするにとどまり、発言を俯瞰していられるけど、卑下するような発言が本当に多いと思う。

そして本人はまったく悪意はないという(笑)

 

この環境では、自己肯定感はどんどん下がっていくんだろうなと感じた。

 

私の自己肯定感の低さはこういうところから来ていたんだと思う。

昔「彼氏彼女の事情」っていう漫画の中で、

片親で愛情に飢えていた子が

 

「家族の関係性の中で埋まらなかったものは、自分で埋めていかなければいけない。私たちは人よりもマイナスのスタートをしている。」

的なことを言っていたのが印象に残っている。

 

それでも、いろいろな人のサポートがあって、

私は努力をして勝ち取ってきたとも思う。

数年前よりは、すいぶんましになった。

 

もちろん私は家族関係はとても恵まれている。

愛情も感じられていた。

完璧な関係性なんてつくれるわけないもんね。

私も家族が増えたら、こうやってたくさん足りない不完全な形になってしまうのかもしれない。

そして子供にこうやってブログに文句を書かれるのかもしれない

 

 

 

あと、母親も間違いなくADHDだと思う。

何度も「私ってなんでこうなんだろう」って言ってた。

 

名前をつけられることで、救われる人もいれば、そうではない人もいる。

 

 

おくすりについての相談

メンタルクリニック行ってきました。

 

薬の副作用つたえたところ

 

いや、そんな副作用はふつうはでない

まじかごめんね・・・

 

って反応されました。

 

ごめんね、ぱっとみのフィーリングでそんなに薬にナイーブな人にはみえなかったww

 

って言われました(笑)

なんやねん

 

鼻炎のくすり飲んで寝込んだり

鎮痛剤のんで全身ただれたりするので

たぶん薬の反応でやすいんだろうな〜

 

慣れててあんまり気にしてなかったけど、

通常の副作用ではないものがたくさん反応していたみたいですw

 

病院に相談してほしいレベルだったみたい。

 

 

ということで4分の1の分量に調整してもらい、

飲んでみるという選択をしてみたいと思います。